夜8時。
暗い海の中船を沖へと走らせ、夜明け前からがタコ漁の始まり。あらかじめ海に仕掛けておいた籠のついた紐をリールで巻き上げていきます。籠には重さ10kgを超える立派なタコ。タコ同士が共食いしないように素早くネットに入れられます。
船のスピーカーからは演歌。「疲れたときは、やっぱり演歌を聞くと元気がでんだ」とは、漁師の星さん。
暴れる大きなタコとの格闘、暗い海の上での作業…。タコ漁は、大変な重労働です。
震災時、船の上で漁の準備をしていた漁師の星さんは、船を津波のない沖へと走らせなんとか船を守りました。
しかしほとんどの漁師さんは船や漁具を津波で喪失。海の中は津波によってがれきだらけになり、とても船を走らせられる状態ではありませんでした。
そしてしばらく漁師さんたちはがれき処理や農業の手伝いなどを行っていたといいます。この間にも「海は、漁はどうなってしまうんだ」という焦りは募るばかりでした。
タコ漁再開への思い
そんな中、星さんは「やっぱり俺は漁師だ。タコで飯を食うんだ」と立ち上がりました。
がれきが残る海の中、もしがれきにぶつかったら船が壊れてしまう。海の状態も分からない。本当に漁ができる?
そんな周囲の声を押し切り、タコ漁を再開させました。
そこまでして漁の再開へと駆り立てたものは何だったのでしょうか。
「やっぱり俺は漁師だっちゃ。俺が漁を始めることで、他の漁師たちが『あいつが漁をしているなら、俺もやっぺ』と競争心を燃やしてくれたらいいよな。漁師は競争してなんぼだから」。
星さんの思いが届き、何とか船を出せる8隻が2011年のタコ漁を行いました。
漁師としての誇り
「俺ら漁師はガキの頃から漁師。だから、これ以外考えられないんだ」と語る星さん。
共に生きてきた海への愛、南三陸町の主軸産業である漁業を支えてきた漁師としての誇りをにじませます。
漁にかける並々ならぬ思いは、星さんだけでなく漁に関わる人たちにとっても同じこと。
漁の復興=南三陸町の復興と言っても過言ではありません。
「志津川のタコは最高だ。本当はみんな志津川に遊びにきてほしいよ、食べてもらったら分かるからさ」。
タコ漁は7月〜8月に最盛期を迎えます。
今年の7月には多くの漁師さんがタコ漁を再開し、また志津川漁港に立派なタコがズラリと並ぶことが漁師さんの願いであり、このプロジェクトの願いでもあります。
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