難病の子どもと家族を支える“第二のわが家”
<特定非営利活動法人 パンダハウスを育てる会>

団体と助成の概要

パンダハウス写真01

 

 治療を受けに来た子どもとその家族が、安心して療養に専念できるように——。付き添いの家族が体を休め、子どもの一時外泊などにも利用されている「パンダハウス」。家族にとっては狭い車内や慣れないホテルで過ごさざるを得ない状況を解消でき、子どもにとっては一時外泊によりわが家のような雰囲気の中、家族とともに過ごすことができる一軒家です。

 パンダハウスの近くにある福島県立医科大学付属病院は、国内でも小児がんの最先端医療を行っており県内外から多くの子どもたちが治療に訪れます。5歳以上の子どもの病死原因の第1位が小児がん。同じ病の子どもを持つ福島市内の母親が、「病院近くに第二のわが家を」と周囲に呼びかけたのがパンダハウス設立のきっかけです。共感した母親仲間の募金活動によって建てられたパンダハウスは今まで、多くの家族を受け入れてきました。

 

母親たちが団結し、全国の先駆けに

 

 病室に泊まれる付き添いは一人だけ。遠方から付き添ってきた父親やきょうだいは、車内や病院の椅子で夜を過ごすしかありませんでした。付き添う家族が肉体的にも、精神的にも、そして経済的にも安心できなければ、子どもと一緒に病に立ち向かえません。

 同じ小児がんの子どもに付き添っていた福島市内の母親が、見かねて施設の必要性を訴え、母親仲間を中心に募金活動を始めました。1995年当時、日本ではまだこうした施設は数少なく、寄付を募るにも理解を得るのが難しい状況の中での活動。設立当初から関わる副理事長の菊田洋子さんは「個人、それもお母さんたちの2,000円、3,000円といった寄付が大きかった」と振り返ります。

寄付金によって1997年にオープンした、子どもと付き添い家族のための一軒家は、全国でも先駆け。3部屋に共有の台所とリビングとお風呂という間取りは、「母親が考えた、ごく普通の家」と説明する菊田さん。リビングに入ると、ソファやテレビ、おもちゃがあり、リラックスできる生活空間が広がります。管理人はおらず、規則もなく、鍵は自己管理。1泊1,000円で365日わが家のように利用できる一軒家です。 

パンダハウス02

リビングにはソファやテレビ、絵本なども。
おもちゃなどは地域のお寺の婦人部がボランティアで消毒し、清潔に保たれている。

 

2万人を超える利用者。稼働率は100%以上

 

 1部屋に1家族。合わせて3家族が泊まれる家は、さながら第二のわが家です。「利用していたお母さんたち数人が、ワイワイおやつ作りをしたり、会社では子どもの病気のことを話せないお父さん同士が缶ビールを飲みながら打ち解けたり、幼いきょうだいを連れたおじいちゃんおばあちゃんがほっとした表情を見せたり」と利用する家族の様子を語る、菊田さんと理事の古関令子さん。入院中の子どもが病院食を食べられないときも、「母親が作ったものは食べてくれた」という声もありました。

 宿泊はもちろん、お風呂だけでもと日帰りで利用する家族もいて、3部屋の稼働率は100%を超えることもあります。オープンから16年。利用者は2013年9月現在で、のべ2万2,027人に上っています。

パンダハウス03

 応援の意味をこめて利用者にプレゼントされるバッジ。
ボランティアが一つひとつ手縫いしたバッジは、子どもたちにも人気。

 

県立病院と連携。高まる期待に応えたい

 

 多くのボランティアが協力し、みんなの家として運営されてきたパンダハウス。快適に過ごしてもらえるようにボランティアスタッフたちは隅々まで掃除。免疫機能が低下した子どもたちが安心して外泊に来られるように、感染症予防の消毒方法を病院関係者からアドバイスを受けるなど、衛生にも気を配っています。病院に足繁く通って情報交換を行い、信頼を高めることにより、病院との連携も密になってきました。

 パンダハウスの利用者への鍵の貸し出しは病院で行われ、外泊の日に熱が出てしまった子どもにも「パンダさんだったらいいよ」という医師の計らいで外泊していたら、すっかり熱が下がったことも。パンダハウスで家族と過ごす時間が、子どもたちを励まし、目に見えない力を与えているのでしょう。「病院ではつらそうな表情しか見せない子どもが、パンダハウスに来ると同じ子どもとは思えないほど表情がイキイキしてくるんです」とうれしそうな菊田さん。

パンダハウス04

利用したいと待っている子どもと家族のために、
もう一軒増改築を目指し活動を続ける菊田洋子さん(左)と古関令子さん。

 

2年後の増改築を目指し、募金活動

 

 一方で部屋数が足りず、多い月には24家族も断らざるを得ない状況にあります。原則7泊8日と決めた期間が過ぎれば、利用者は大きな荷物を持って移動し、また日を置いて戻ってきます。「生活がかえって安定しないのでは」ともどかしい思いを抱えた菊田さんたちスタッフ。ハウスを必要とする家族をできるだけ受け入れたいと、3部屋増やすことを考え、増改築を目指すことにしました。

 掃除や運営にかかりきりだったスタッフは、助成を受けてハウスマネージャーを雇用し、パンダハウスの認知度を高める活動に取り組めるように。その結果、募金を呼びかけるニュースレターに利用者の声を紹介し、チャリティーコンサートを開催。活動は県内のメディアに取り上げられ、「新聞を見たぞい」と会津から寄付金を持参する男性や、「ひこ(孫)ぐらいの子どものために」と施設で使うぞうきんを手縫いする年配の女性もいます。

 協力者は増えつつありますが、目標額にはまだまだ。完成を待つ子どもと家族のために「できることなら明日にでも建てたい」と活動を続けています。