東日本大震災の地震や津波による影響で家を失い、仮設住宅などで新しく生活を始めた住民たちは、一からのコミュニティづくりを余儀なくされました。地域のつながりを大切にする東北地域では、住み慣れた場所や人間関係から離れ暮らすことに大きなストレスを感じる人が少なくありません。
「仙台・青葉まつり協賛会」は、新しい関係づくりをサポートしようと、仮設住宅団地での踊りと音楽を通した新しい交流の場づくりを始めました。宮城県仙台市を中心に親しまれている「すずめ踊り」の練習会を仮設住宅団地の集会所などで実施。子どもから大人まで性別や年代を問わず参加できるすずめ踊りは、新しい絆を生み出しました。
ばらばらになった気持ちをつなげるきっかけに
すずめ踊りは「祭連(まづら)」と呼ばれるグループに分かれ、かねや太鼓のおはやしに合わせて踊ります。小学校や地域の子ども会単位で練習したり、職場で祭連を結成したりと、仙台市内を中心に県内に約130組の祭連があると言われ、市民の間に広く浸透しています。
身近なすずめ踊りを通して、東日本大震災で被災した人たちを元気づけることはできないかと立ち上がったのは、「仙台・青葉まつり協賛会」。事務局長の鹿野正利さんは「仮設住宅では、色々な地域から様々な人が集まって生活している。被災状況もバラバラの中、一人ひとりの気持ちを、すずめ踊りを通してつなぐことができないかと考えた」と、当時の様子を振り返ります。
2012年3月より、いくつかの仮設住宅団地や地域に声がけを始めました。主旨に賛同した、仙台市若林区荒浜で被災した住民が多く入居している若林区卸町(おろしまち)にある仮設住宅団地と、仙台市宮城野区南蒲生(みなみがもう)の2カ所で練習会を開催することに。
南蒲生は津波被害を受けた地域で、住民は近隣にできた仮設住宅に入居したり、自主的に自宅を再建して住んだりとバラバラの生活を送っていましたが、祭連を結成し再び関係づくりを始めました。「練習会には、赤ちゃんを抱っこしながら踊るお母さん、高齢のおばあちゃん、小学生など様々な人が楽しく参加し、年代や性別を超えたつながりができた」と鹿野さん。こうして二つの祭連が結成されました。
事務局長の鹿野さん。「事業を通して、皆さんの表情が明るくなり、
積極性が増したように思う」と祭連メンバーの変化を語る。
励まされる側から励ます側に
練習を続ける中、卸町5丁目公園仮設の祭連の活動の様子を知った仙台市内の介護老人福祉施設から、「皆さんが元気に踊る姿を、私たちの施設でぜひ披露してほしい」との依頼が。結成したばかりでうまく踊れないとの不安もありましたが、「少しでも力になれれば」と出向きました。130人ほどの前で一生懸命踊ると、大きな拍手が沸き起こりました。
「それまで支援される側だった彼らが、『自分たちでも誰かを元気づけることができる』と新たな発見と喜びを感じることができた」(鹿野さん)。この経験が一人ひとりの自信につながり、自ら進んで発表の機会を企画するなど、祭連のメンバーたちに大きな変化をもたらしました。
介護老人福祉施設での慰問活動。
支援される立場から、人に元気を与えることができると実感し、自信や生きる力につながった。
名前と法被・扇子がそろい、一体感へ
練習と併せて「仙台・青葉まつり協賛会」が進めていたのは、すずめ踊りに欠かせないお揃いの法被と扇子の制作。各祭連と話し合いながら10種類以上のデザインを「仙台・青葉まつり協賛会」が提案。南蒲生のメンバーが選んだのは、波の絵柄が入った法被でした。鹿野さんは「津波を連想させる絵柄を入れることに驚いたが、メンバーからの『津波に負けないぞ』という気持ちを表わしたいという希望だった」と話します。法被には、併せて考えてきた祭連の名前もデザイン。卸町5丁目仮設住宅団地の祭連は「絆舞(きずなまい)卸町雀祭連」、南蒲生の祭連は「南蒲生雀乃舞」に決まりました。
お揃いの法被と扇子を身に着け、練習会を継続。「踊る自信がない」と最初は見学だけだった人も、楽しそうに踊るのを見るうちに、「私にもできるかも」と参加する人が徐々に増え、現在「絆舞卸町雀祭連」は約20人、「南蒲生雀乃舞」は約40人に。年末には2つの祭連合同で忘年会も開かれるなど、地域を越えたつながりも生まれました。
仙台・青葉まつりを始め、地域の夏祭りやイベントに積極的に参加。
踊りの上達よりもみんなで笑って踊ることが狙い。
多くの共感を呼んだ大舞台への挑戦
2013年5月にはこれら二つの祭連が「仙台・青葉まつり」に参加し、堂々と踊りを披露しました。「同じ仮設住宅団地に住むおばあちゃんも駆けつけて、涙を流しながら応援する姿もあった」と鹿野さん。すずめ踊りが紡ぎだす新たな人とのつながりを実感したと言います。祭連のメンバーは「踊るとみんな笑顔になって楽しい。もともと、地域のつながりが強い地域だったが、すずめ踊りの練習を続けるうちに、震災前の雰囲気が戻ったようでうれしい」「被災した私たちが元気に踊るのを見て、ほかの人たちも元気になってもらえたら」と、充実した表情で語りました。
鹿野さんは「震災から3年が過ぎ、今後は仮設住宅を出る人も増えてくる。それぞれが新しい場所に移っても、祭連を軸に新たなメンバーを巻き込みながら、つながりが続いていくといい」と希望を語りました。
(2014年2月インタビュー実施)