気仙沼の高校生によるまちづくりをサポート
<特定非営利活動法人 底上げ>

団体と助成の概要

 

 

 震災の1週間後から宮城県気仙沼市に入り、物資の配給や避難所運営の支援、全国から学生ボランティアの受け入れなどを行ってきた「底上げ」の代表、矢部寛明さん。当時、東京の大学を卒業間近。就職内定先を辞退して気仙沼市に拠点を移し、仲間と「底上げ」を立ち上げました。地域のニーズに合わせて学習支援などを行う中で、高校生のモチベーションをアップ。「自分たちのまちを良くしたい」という気仙沼の高校生有志団体「底上げYouth(ユース)」が発足しました。高校生の目線からアイデアを出し合い、地域を盛り上げていく気仙沼の高校生たちの、縁の下の力持ち的役割を担っています。

 

学習支援を機に、高校生が団体結成

 団体名の「底上げ」には、東日本大震災をきっかけにして、社会全体の意識の底上げをしていきたいという思いが込められています。底上げのボランティアは9割以上が学生ボランティア。仮設住宅やコミュニティスペースでの学習支援では、全国から来た大学生が高校生や中学生に勉強を教えるだけではなく、子どもたちと一緒に考え、楽しい時間にしようという意識で接していました。

 学習支援を行っていたある日、大学生が何気なく発した「気仙沼は良いところがいっぱいあるよね」という一言から、新しい一歩が始まりました。高校を卒業したら地元を離れたいと思っていた子どもが多いなかで、外部から来た大学生が口にした気仙沼の魅力は、今まで意識したことのない視点だったといいます。「魅力をもっと知って、地元のために何かしたい」と幼なじみの女子高校生2人が反応。2人が中心となって、それぞれの高校の友達や後輩に声をかけ、7人で「底上げYouth(ユース)」を立ち上げました。そこから気仙沼各所へのヒアリングを行い、地元の理解を深め、魅力的だと思うところをピックアップしていきました。

 底上げの理事、成宮さんは「底上げYouthの活動当初は、メンバーの意見が出やすいよう進行役として1人ずつ意見を促していましたが、次第にメンバーがしたいことをフォローする役回りに変わってきた」とメンバーの自主性に変化を感じています。

 

「アイデアを出し合い、どう実行するか話し合うのが楽しくて仕方ない」
という底上げYouthメンバーと成宮さん(左から2人目)。

 

受け身から主体的に意識が変化 

 まちを盛り上げるため、観光に力を入れることにしたメンバーたち。着目したのは、新しいものではなく埋もれている文化など、地域に根ざしたものでした。毎年まちで開催されている「落合直文全国短歌大会」は、メンバーにとって小学生のころから短歌を応募してきた馴染みのある催し。といっても、気仙沼出身の明治の歌人であり国文学者である落合直文のことも、現存する生家「煙雲館」のことも、詳しくは知りませんでした。

 生家を何度も訪ねて話を聞くことで、直文が「恋人」という言葉を初めて使った人であることを発見。「恋人のまち」として気仙沼をアピールすることに。気仙沼の名所を恋人スポットと位置づけ、ラブストーリーに盛り込み、手作りのリーフレットを完成させました。リーフレットの完成を記念して開催した活動報告会では、恋人エピソードを題材にした寸劇も。地元の人や保護者、同級生など85人を前に発表する姿を見た高校生が「カッコいいリーフレットを作って、発表会も高校生だけで行えて、おもしろそう」と新加入し、メンバーは一気に23人に増加しました。

 メンバーは、決して積極的な子ばかりではありませんでした。「最初の頃、高校生たちからは『できない』『仕方ない』という言葉が出ていました。それが、底上げスタッフの『できないことないよ』、『それいいね!』という口癖が移って、『できるよね』に変わり、自分たちで考えて行動するようになっていった」と、成宮さんは高校生の変化を間近で見てきました。

 

気仙沼の観光パンフレットを制作した底上げYouth。
気仙沼観光コンベンション協会会長と、キャラクターのホヤぼーやと。

 

子どもが、大人とまちを変えていく

 底上げYouthのメンバーは「なんでもできるようになろう」と自分たちで進行役や議事録係、広報係などを、持ち回りで担当。当初はおとなしかったメンバーも、「今日は私が司会進行やります!」と手を挙げるように。活動も興味に応じて、観光が主体の「恋人チーム」の他に、歴史ある気仙沼みなとまつりの由来を調べてうちわに制作する「お祭りチーム」、郷土料理を地元のばっぱ(おばあちゃん)に学び、自分たちの視点からアレンジしたレシピづくりを行う「フードチーム」など、学校や学年の違いを越えて自分たちのしたいことに取り組んでいます。

 保護者からは「今まで家ではあまり話をしなかったけれど、活動を始めてからよく話すようになった。明るくなった」という声も聞かれます。

 高校生の活動を地元の住民は応援し、活動を知った首都圏の高校からは交流会の希望が入るようになりました。高校生は、活動が認められ、自信がついたことにより、進学や仕事の選択もより幅広い観点から考えられるようになったといいます。「進学先にコミュニティデザイン学科を選んだ生徒もいます。進学で離れても、また地元に戻り、学んだことを生かして、社会人になっても地域の魅力を発信する活動に携わりたいという声も上がっています」と話す成宮さん。

 地元の伝統や文化など埋もれた魅力を掘り起こし、発信する活動を通して、自分にも、ふるさとにも自信をもつ好循環が生まれています。  

 

2013年3月、地元の人たち85人を前に、高校生の目線から地元の観光ツアーを提案。
この報告会を機に、活動メンバーが急増した。

 

(2014年1月インタビュー実施)