「新しい地域づくり」「住民の合意形成」にデザインができること
<宮城大学中田千彦研究室「a book for our future.311」デザインチーム>

団体と助成の概要

 

 宮城県北部、南三陸町にある長清水(ながしず)地区。沿岸にあたるこの地区は、東日本大震災の津波によって37戸中34戸が流出するという、大きな被害を受けた地域です。

 宮城大学事業構想学部デザイン情報学科の中田千彦研究室が実施しているプロジェクト「a book for our future.311」は、長清水地区の住民が希望を持って暮らしていくため、「デザイン」によって地域の復興を支える活動です。さらに、高台への集団移転事業や復興計画において行政と住民との橋渡しを行うなど、住民の合意形成に向けサポートを続けています。

 

極限の状況から、将来に目を向けるために

 震災直後、長清水地区の高台に建つ民宿「ながしず荘」は、津波の被害を免れた数少ない建物であり、当時、民間避難所として機能していました。避難所の支援を行っていた宮城大学准教授の中田千彦さんと、研究室スタッフの中木亨さんは、地元住民から「長清水を支える方法を考えてほしい」と相談を受けます。

 当時長清水では、地区のほとんどが流され、また、南三陸町の中心部からつながる幹線道路が寸断され、今日食べるものにも苦労するという極限状態。甚大な被害を受けたにもかかわらず、支援が行き届きづらい地域でもありました。「つらい状況にありましたが、住民全体が目の前のことだけでなく地区の将来を見据え、課題を考え協力し合うにはどうしたら良いか、建築デザインの専門家としてどんなことをお手伝いできるのか——。地域の方と考えた結果、学生と共に『長清水の将来をデザインする』ことに行きついたんです」(中田さん)。

 

地区のほとんどの建物が流失した宮城県南三陸町の戸倉地区。
見渡す中田さん(奥)と中木さん。

 

デザインを用いて視覚化し、話し合いをサポート

 そして2011年4月より、プロジェクト「a book for our future.311」がスタート。研究室の学生がスケッチブックに「長清水の将来」を描き地元住民と意見交換するワークショップが行われました。中木さんは「新しい道の駅をつくろう、桜の木を植えようといった学生の意見を、地元の方たちは真剣に聞いていました。将来のことを考える機会があまりなかった時期でしたから、皆さんの意識が先へ向く、一つのきっかけになったように見えました」と振り返ります。

 その後何度も話し合いが進められ、プロジェクトスタートから約1年後の2012年6月、ワークショップ「ナガシズスケープ」を開催。この「ナガシズスケープ」では、1年間の振り返りと併せて、高台移転計画や防潮堤の建設プランが行政から示されつつあった時期でもあったので、公共事業の計画を考慮した復興計画の話し合いも行われました。

 学生がつくった長清水地区の模型を囲み、津波がどこまで来るかの危険予測のおさらいや、行政は防潮堤をどこにどのような形でつくろうとしているのかなどを共有。また、浸水域の利用方法に関して学生から提案もありました。住民からは「この道をもう少し広げて避難に使える道にできないか」「ここで仕事をするとなると、安全な高台まで避難するにはどの道を通ればいいか」など具体的な意見が交わされました。中田さんは「提案の押し付けにならないように常に意識していました。地域の方が将来を考えるための素材となれば」と話し、地域住民に寄り添い活動を進めてきたことが分かります。このワークショップへは行政からの参加もあり、地域住民の考えを橋渡しする機会にもなりました。

 

学生のつくった長清水地区の模型を囲み、地元住民と共に地域の未来を考える。
活発な意見交換の場となった。

 

生活再建を支える裏方として

 集団移転に関する行政からの説明が行われる際には、中木さんらも出席。行政からなされる道路や防潮堤の再建についての説明の前後には、それらが建設されることにより、地区がどう変化するかなどを分かりやすく住民へ解説するなど、理解がスムーズに進むための通訳のような役割も果たしました。

 さらに、「契約講」と呼ばれる、地域自治を担い、行政との窓口でもある組織の運営サポートも。「行政からの書類をどう分かりやすく住民へ伝えるか一緒に考えたり、ある時には住民への電話を一緒にしたりと、裏方として何でもサポートしました」(中木さん)。

 その他、わかめの養殖作業の際に使用する作業小屋の建設や、長清水をイメージした手ぬぐいの制作を通じた地区のPRなど、様々な側面から長清水のサポートに努めました。

 

学生の一人から出た手ぬぐいをつくるアイデアが形になった。
長清水の豊かな海と山をイメージしている。

 

世代を超えアイデア・知恵を出し合い、復興に生かす

 「それまで、地区の決めごとは高齢の人たちが主導する部分が多かったけれど、学生が入ることによって、若い人が意見を言いやすい雰囲気ができたと思う」と中木さん。「学生にとっては、自分がやらなければいけない現場がある、『誰のために』が目に見えているのが、成長につながったと思います。何も教えていないけれど、思わぬ化学反応がありました」。

 中田千彦研究室では、震災から4年目となったこれからも長清水地区をサポートしていく予定。「誰でも、器用なこと、不器用なことがあるのは当然。震災で結果として、その不器用な部分が露呈してしまったけれど、その一部を私たちの得意なデザインの分野で補完できれば。それぞれできることを出し合って、知恵をみんなで使えたら良いですよね」と中田さん。住民の主体性を大切にしながら、見守り続けます。

(2014年3月インタビュー実施)