発達障がいや不登校の子どもに寄り添って支える
<特定非営利活動法人 いわて発達障害サポートセンター えぇ町つくり隊>

団体と助成の概要

 

 

 東日本大震災で、死者・行方不明者あわせて1,700人以上と、岩手県内でもっとも大きな被害を出した陸前高田市。震災後すぐに市内に入り、自閉症の子どもへの支援を始めたのが「(特活)いわて発達障害サポートセンターえぇ町つくり隊」でした。同団体は一関市を中心に、自閉症当事者が地域の中で暮らせるようにと、親や教育関係者らが集まって活動してきた団体です。

 スタッフはまず、陸前高田市の避難所にいる自閉症の子どもや親を訪問しました。津波によって障害者手帳を流されてしまった人が多くいたため、県の福祉課職員とともに、約1ヶ月かけて各地の避難所をめぐり、再発行の手続きも手伝ったそうです。

その後、「どんな支援が必要か」というアンケート調査を行ったところ、多く挙がってきたのが「子どもを預かってくれる場所がほしい」「相談先がほしい」という要望でした。そこで、えぇ町つくり隊の高田支部として「さぽーとはうす★すてっぷ」を設立したのです。

 

地元、陸前高田市で採用された「さぽーとはうす★すてっぷ」のスタッフ。
育児の経験を生かして、日々子どもたちに向き合う。

 

震災を機に、不登校になった子ども

 今も一関市から陸前高田市に定期的に通っているというスタッフの千葉寿美江さんは、仮設住宅などで母親たちから話を聞くうちに、陸前高田市には震災前から発達障がいの子どもたちが利用できる福祉サービスがほとんどなかったことを知ります。
 「一関市とは状況が違ったんです。地域での発達障がいへの理解がまだあまり進んでいなくて、お母さんたちはずっと肩身の狭い思いをしました。そこで、ポスターを配ったり、仮設住宅のお茶会に参加して活動を知ってもらったりと、啓発活動から始めました」。

 現在は、プレハブの施設「さぽーとはうす★すてっぷ」を拠点に、放課後や長期休みに子どもを預かる「放課後等デイサービス」や家族への支援を行っています。さらに、不登校の子どもへの支援も手がけてきました。
 「被災による転校がきっかけで、不登校になってしまった子どもが出ていたのです。その中には、発達障がいや自閉傾向が見受けられる子もいます」と千葉さん。不登校の子どもがいつでも来られる『居場所』として施設を開放するほか、外に出られない子どもの自宅まで訪れ、必要に応じて登校にも付き添ってきました。

 「子どもも親も、不登校になった後にどんな選択肢があるのかという情報を持っていないんですよね。定時制や通信制の学校があるんだよと、教えてあげるだけで道が開けるケースもあります」。今年、ここでの支援をきっかけにして、不登校だったある子どもが通信制学校への進学を決めたそうです。

 

ここに通う子どもたちが、みんなで一緒に描いた絵。
陸前高田の象徴である松の木と「がんばれ、未来へ」の文字が力強い。

 

どんな子どもでも受け入れる

 デイサービスには、現在小学生を中心に14人の子どもが通っています。工作やクッキングなど、曜日によって異なるプログラムを実施。遊びを通して、順番を待つことや他人への接し方を学んでいくのです。ここに通うことで、変化が現れた子どももいます。「気に入らないとすぐ手を出していた子どもがいたのですが、根気強く話していくうちに、カッとなったら外に出て気持ちを落ち着かせるなど、自分で感情をコントロールできるようになったんですよ」と千葉さん。

 学童でトラブルを起こし、ほかの施設で断られて来たという子どももいます。しかし、ここではどの子どもも決して断りません。「プロとして、ここを必要としている子どもを断ってはいけないと思うからです。むしろスタッフに知識や経験が身につくいい機会です」。

 家族からの相談も大切な活動のひとつ。学校からの理解に悩む親も多いため、学校、家庭、団体の3者間で連絡帳をつくり情報を共有しています。「家でこんなことがあったからイライラしているんだなと状況が分かれば、対処もしやすいですよね。子どものことを先生に知ってもらうためにも役立っています」。

 

プレハブを利用して建てた、事務所兼デイサービス施設。
震災後は家を移転・再建する人が多かったため、場所探しに苦労した。

 

生涯を通じて、地域での支援を

 千葉さんやスタッフは、「問題行動には必ず意味がある」と考えて、まず子どもに寄り添うことを心がけているそうです。その上で、問題があれば「どうすればよかったのか」と話し合います。
 「障がいがあっても、一人ひとりの子どもに個性があります。『自閉症ってこういうもの』と決め付けずに、その子自身のいいところを見ていきたい」と千葉さん。

 常勤・パートを含めてスタッフは4人。千葉さん以外は、全員地元のお母さん。地域に活動も周知されてきて、利用者も増えてきました。今後は活動を広げて、一人ひとりに合った福祉サービスの利用計画を立てる相談支援事業所も設立したいと考えています。

 「子どもたちも、いずれは大人になって社会に出ていきます。障がいが軽度だと、勤めるのは福祉作業所ではなく一般の職場。これまでも職場で発達障がいが理解されず、仕事を辞めてしまうケースを見てきました。それを防ぐには、就労後のサポートが必要です」。仕事や住まいのことなど、大人になっても生涯を通じて地域で支援できる体制をつくることを目標に、これからも活動を続けていきます。

 

(2015年6月インタビュー実施)