山形県米沢市にて、福島第一原発事故による福島県からの避難者が結成した合唱サークル「HAPPY愛LANDS」。歌好きの仲間が世代を問わず集まり、2012年3月11日に米沢市で行われた復興祈念式典で歌を披露するなど、山形県内外で注目を集めています。
避難所での「歌いたい」がきっかけ
2012年9月、米沢市内のコミュニティーセンターにて「HAPPY愛LANDS」の練習が行われました。この日は小学生を中心に14名が参加。軽いストレッチで体をほぐしてから、震災前福島で歌の講師をしていたメンバーが指導役となり、練習が始まります。ピアノの伴奏は小学5年生の女の子。HAPPY愛LANDSへの参加をきっかけにピアノを練習しはじめ、わずか数ヵ月で歌の伴奏ができるまでになりました。「高音の盛り上がりをもう少し意識して」「歌詞をはっきりと」と声が飛ぶ中、子どものはつらつとした声が中心となり、心地よいハーモニーが部屋中に響き渡ります。
週1回、19時から行われる練習会には、福島県からの避難者と地元住民ら約20名がメンバーとして参加。昼間働く大人や小中学校に通う子どもも親子で一緒に通えるよう、夜に練習が行われています。南相馬市から避難している母親は「親子で一緒に通えるのがいい。娘も学校や家以外の居場所ができて、週一回の練習会を楽しみにしています」と笑顔で話しました。
避難所で毎日歌手や芸能人の慰問を受けていた震災直後、「自分たちも歌いたい」と2011年3月下旬に合唱グループが結成されたことがきっかけ。避難所から二次避難所へ移り住みメンバーが散り散りになったことで一度活動を休止しましたが、2011年8月、米沢市に住む音楽愛好家らがリードする形で、歌好きの仲間たちが再び集まることとなりました。
広がる地域とのつながり
福島第一原発事故の影響により、隣接する山形県には多くの避難者が身を寄せています。人口約9万人の米沢市内も例外ではなく、2012年9月現在で3,000人超が避難生活を続けています(山形県調べ)。その多くは働く父親を福島に残し避難生活を続ける母子。家族が離れて暮らす精神的ストレスはもちろんのこと、週末に父親が山形県までくるための交通費や、二重にかかる生活費など負担と悩みは山積みです。「子どもを習い事に通わせる金銭的余裕はないので、こうして気軽に子どもが楽しめる場所を探していました」と、福島県郡山市から避難を続ける母親は話します。
「HAPPY愛LANDS」には避難者だけでなく地元住民も参加しているため、地元の情報交換や地域とのつながりも活発です。地元住民が避難者を身近に感じることで、地域での理解も広がり、様々な支援の輪も広がっているといいます。地域のお祭りや被災者支援のイベントで歌を発表する機会に多く恵まれ、2012年6月には日本フィルハーモニー交響楽団と共演するなど、「HAPPY愛LANDS」の名は地域で広く知られるようになりました。
また最近では近くの畑を借りて、農作物の栽培も始めました。メンバーで集まって草むしりから始め、大根やとうもろこし、白菜などを植えました。メンバー全員で、食の安全を考える機会をつくることも狙いです。
代表の渡辺加代さんは「今後は歌だけでなく、様々な楽器を取り入れて表現していきたい。オリジナルの曲を増やして、福島のこと、避難者のことを皆さんに知ってもらえるきっかけとなれたら」と力強く希望を語りました。
メンバーによるオリジナル曲
“音のしない街 船のない港 誰もいない仕事場 さよなら さよなら みんな さようなら—”
少しドキっとするような歌詞から始まるこの歌は、「HAPPY愛LANDS」のメンバー伊藤範さんが、福島で感じたことを歌にした「たからもの」。知人が作曲を担当し、2011年に完成させました。また、メンバーの一人、米沢市在住の加藤公亮さんが作詞作曲した「ふるさと」は、福島県に住む人や避難者の心情を表した歌。長年音楽活動をしている加藤さんが、震災直後から何度も福島県に足を運んだ中で「舞い降りた」歌だといいます。これらのオリジナル曲は各地のイベントで披露され、多くの人の心を打ちました。
「活動を続けてきたなかで、以前は歌うと思いが溢れてきて泣いてしまっていたのが、最近は気持ちが整理されてきたのか泣かずに歌えるようになった子どもや、表情が明るくなってきた避難者もいます。一人ひとり様々な問題を抱えてはいますが、避難者や地元住民がストレスを発散できる場として、様々な人と関わりながら楽しく続けていきたい」と渡辺代表。
「たからもの」の歌の最後はこう締めくくられています。“失くさない 失くさない 大事なあなた たからもの”。一日で全てが一変してしまったあの日、失ったものは計り知れません。しかし「HAPPY愛LANDS」の活動は、歌通して大切な“たからもの”を育み続けます。